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國華一千号を迎えて

東洋の古美術研究とその名作紹介とを主眼とする月刊誌として國華が創刊されたのは明治二十二年十月で今を去ること八十八年前であるからまさに米寿に達した。
当時美術界の指導者として活躍した岡倉天心と、内閣官報局長でその後朝日新聞の主筆となった高橋健三の両氏は即ちその発案者として國華刊行の中心人物であったが、更にこの挙に讃同した当時の人士には天心の師で大学の哲学講師として招かれた米人フェノロサ氏や、当時臨時全国宝物取調委員長であった九鬼隆一氏等当時の美術界に関心の深った先覚者たちがすくなかったので、国粋美術勃興の気運に乗じて國華はその声価を高め、当時としては極めて豪華な木版色刷と良質のコロタイプ版とを登載し、毎号の論考や解説なども溌溂たる生気に富んでいたが、その経費や経営の道は決して容易ではなかったので、その後幾度もなく朝日新聞社の創立者村山龍平、上野理一両氏の出資援助を受くることとなった。
そして両氏他界の後は村山家の独力を頼りとして赤字経営を続けながら大正昭和の今日に至るまで連綿として月刊を重ね来ったわけである。
尤もその間國華社は大正大地震と第二次大戦と両度の火災に遭い夫れ夫れ数か月休刊の余儀なきに立ち到ったが、その間昭和十四年以降は國華社経営の責任が村山家から朝日新聞社に移されて今日に至ったわけである。
今日一千号を迎えるに当たり、右の歴史をふり返ってみると、わが師滝精一  (拙菴)先生が國華主幹就任の明治四十三年以来、第二次大戦終結の直前、即ち昭和二十年五月その逝去に至るまで四十余年の長きに亘って終始一貫鋭意國華の編集に尽粋された業績は誠に多大で一々挙ぐるに堪えない が、この間主幹を助けて論説にまた解説に随時その筆を揮った著名の故人としては、考古学における浜田耕作し、中国美術史におれる田中豊蔵氏、印度西域における沢村専太郎氏、陶磁史における奥田誠一氏、浮世絵史における藤懸静也氏などの諸学者の絶えざる尽力もまた忘れがたい。
とにかく長年にわたる國華誌上の打ち揃った筆陣の充実によって陰に陽に 当代美術史学に推進が助成されたことは当然であるが、また毎号の名作優品のみごとな図版紹介によって美術鑑賞の気運が高揚されたことや、更にまた文化財指定の基準的な候補作品が提供されたことなども記憶されるべき点であろう。
しかし滝主幹なき後、大戦以後の三十余年にわたる激変の時代に当面して國華の刊行が果たして師の後を継承するに十分であったかどうか、省みて忸怩たらざるをえない。
もちろん一世紀に垂んとする 伝統形式を保有しながらも時代の進展に即応する新しい課題への深求や、伝統的な作品の芸術的価値評価への再検討、更には洋の東西にわたる美術史学の視野の拡大や作品の比較研究に関連する諸般の問題提起など、数え上げてみれば、決して安閑たる守旧の態度にとどまり得なかったことはいうまでもない。

しかし学術研究の道は必ずしも急ぐには及ぶまい。むしろじっくりと古典作品への落ちついた反芻もまた新しい味得や解釈への道となり得るであろう。いま大戦以後の國華がたどった三十年の足跡をふり返ってみれば、七百号の雪舟特集を初めとして、八百号の日本彫刻史特集、九百号の長谷川等伯特集などを思い出される。
さらにその間にまた新知見の美術作品や中央以外の地方所在の古美術品の紹介など、随時の特別な編集にも努めたつもりであるが、さて今年いよいよ一千号を迎えるに当たっては、既刊八百号の古彫刻に関する斯学研究家の専門的な論考を主とした特集の後を承けて、得に日本彫刻史の大きな転換期として最も注目される鎌倉時代に対する総合的な新知見を期待して、斯学の中堅や新進諸君の執筆を煩わしたが、これとは別個にまた、近世町衆の台頭と相待って勃興した謂ゆる琳派の祖宗たる光悦宗達の合作金銀 泥下絵詩歌巻を主とする総合的な図録も編集中である。
しかしこれらの出版とはちがって、等しく一千号の記念を好機として、東京国立博物館と朝日新聞社共催の展覧会を文化庁後授のもとに開催する運びとなったことはまことに望外の喜びに絶えない。この展覧会の主題については当事者間に幾度か協議を重ねた結果遂に日本の山水画という解り易い題目に落着するに至った。しかしこの平凡な題目の中に企図した内容としては、まず次のような点をも前提せざるを得ない。
即ち西欧画壇では近世に至るまでほとんど風景画の発達を見なかった間に宛もギリシャ古典美の中軸を成す人間美乃至肉体美に描写に対峙するように、東洋画壇では本来汎神論的な独自の自然観に基づく東洋美学を背景として早くも古典的な山水画の領域を形成するに至ったという東西美術の顕著うな相違事情の存在という点である。
とにかく右のような中国山水画の伝統を受容した日本山水画の発達も古代様式の唐絵とやまと絵の成立以来、中世的な漢画領域の形成を経て、桃山時代以後はやがて山水画の伝統形式から、さらに写美的な近世風景画への展開を見るに至るのであって、この間の歴史的な過程を、古典作品から近世作品に至るまでの諸作品に徴して展望しようとするのが今度の企図に外ならない。
もちろんこのような日本山水画の展開は本来唐宋以来の山水画の伝統を受けて発足したものであるから、これら中国の諸作品、殊に日本に遺存する宋元の名作等を並べて陳列したいことはいうまでもないが、会場の都合や出品などについて種々の制約もあって、この度は専ら日本山水画の独特な展開過程を歴史的系列的にたどることに重点を置いた次第である。その点では国外からの影響や、感化の系譜以外に当然日本固有の風土や民族性や階級性など種々の要因によっておのずから日本美の達成の方向や様相の特異性を発揮するに至ったことはいうまでもない。 とにかくこの展観の趣旨に添うて中国における山水画形成の概観についてはまず國華の編集委員の米沢嘉圃氏が山水画序説と題して中国における発展過程を綿密周到に大観しており、日本の場合は同委員吉沢忠氏が山水画より風景画へと題して平安時代以来近世末期に至るまでの経緯を多岐にわたって展望しているのでぜひこれから両論を合わせて参照されたい。更に個々作品の解説は東京国立博物館勤務の斯学の中堅や少壮学者の執筆を煩わした。厚く感謝の意を表する。
なお末筆ながらこの度の記念に讃同されて貴重な作品の数々を貸与された諸賢や、寺社当局のしょけん、更にまた朝日新聞社と共催の労を荷担された東京国立博物館の当局並びに後授の労をとられた文化庁の当局、これら諸々の諸賢各位に心からの敬意と感謝の意を表する次第である。
(美術史家 國華主幹)


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4 комментариев к записи “Текст без комментариев. 國華一千号を迎えて”

  1. これは難しいと思います。

  2. admin:

    для начинающих — да. это пример неадаптированного текста из книги.

  3. Ромик:

    うんまあ、学ぶことは、長い複雑な場合は、簡単に問題なく読むことができている=)

  4. Ромик:

    管理者は、それは非常にクールになる通信に日本語やロシア語でチャットを置く。よろしくお願いします。

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